同時にネパールではヒンズー教の亡くなった方を荼毘にふす、焼き場でもあります。
荼毘にふされた灰はすべてこの川へ流されます。白い建物が寺院の本殿です。ここはヒンズー教徒の人しか入れません。 |
これは命日の儀式の様子。頭をそっている方はおそらくおうちの長男さんだと思われます。ヒンズー教ではなくなった人を送り出すのは長男さんの務め。なのでおうちに1人は息子さんを望む人が多いです。 白い服をきている人は、外の人に触るまたは触れることを禁止しています。 外の世界とのつながりをさけて、体をきれいにして命日の儀式を行っていました。 |
対岸に渡り、体を清めて、シヴァリンガムに牛乳やココナッツ、さまざまなものを祭司の指示に従ってかけていきます。儀式にはすべて決まりがあって、祭司の指示で行っていきます。 |
このパシュパティナート寺院にはたくさんのお猿さんがいて、儀式の際に備えられるこうした果物を狙っています。 対岸に渡って儀式をするので、(お供えものは向かい側にある) 2人の人がみはっていましたが、お猿さんの速さには勝てません。結局ほとんどお供えもの、とられちゃって・・・。 |
儀式を行ているとまたご遺体が運ばれてきました。これもまた司教の教えのもと、細かく決まった儀式を行います。 初めは大泣きしていた遺族の方たちも、少しずつ儀式を行うことで心が整理されていくのか、少しずつ落ち着いていきます。 |
国にどのような貢献をしたかやカーストなどにより、焼く場所は決まっているそうです。ここが荼毘にふす、台でここで焼かれて下の川に流され、自然にもどっていくのです。 ・・・ん?! 何かいますね。 |
こんなところにも、犬が・・・温かい場所でのんきに寝ています。 誰も追い返す人もいなくて、あとしばらくは寝るでしょうね・・・ |
みんな対岸から儀式の様子をじーっと見ています。観光客もはいれる、歴史的な場所でもありますが、ネパールの人も多いです。ただこうしてじっと見ることで、人の生と死について見つめる場所でもあるのです。 私の隣で見ていたおばさんが、「私たちみーんな、いつかこうして死ぬときがくるんだろうね」と静かな目で言っていました。 |
この間男性は白い綿の服を着ます。
決まった時間に起きて、儀式を行います。
人工的なもの、外からのものは避けて、塩も食べません。
1日1回の食事、朝は体をきれいに洗い、自分の着た服もまた自分で洗い、儀式を行うという13日間が始まります。
こうして家族を失った悲しさや整理しきれない心も、13日間の儀式の中、体を心をきれいにしながら受け止めていくのですね。
日本では生と死について意識することは生活の中にあまりなくて、わたしたちの命に限りがあることは年老いてから意識することではあっても若いうちにはあまり考えることがありません。
こうして生活の一部として儀式を見ることで、ネパールの人たちはより身近に生と死を見つめているのです。
2 コメント
聖なる河にみんな戻っていくんですね。
ネパールの人もよくパシュパティナートに行くみたいです。私の隣に座ったおばさんも、遠くの村から歩いてきたんだと言ってました。ときどき見に来ては自分もまた順番がくるときが来るんだと思うんだと。
聖なる河へ、そして自然の一部に戻っていくんですね。