タマン族の村は、いずれもメインの車道から離れていて、みんな農業や観光業で生計をたてていました。
つまりある材料で家を建てなければいけない状況にあった村ばかりです。
ある材料というとここにある材料は石。
家も石を積み上げてつくるものばかりが多かったこの村の被害は甚大で、復興のめどもたっていません。
子供たちがガイド役をしてくれて、村をまわりました。
石を積み上げて作った家は、崩すにも難しく、ほとんどの家がそのままの状態。
村の端に移動している人がほとんどでこの家をどうやってこわすのかめどはたっていないそう。
私たちが村々を回っていると、ガイド役の子供たちが小さな声で。
「ここ歩くの、怖いよね」とお話してるのが聞こえました。
この村は壁もすべて石造りなのでまた地震がくるとあとは崩れるだけ。
そういえばそうだな。と思い、子供たちも怖がる道はさっさと歩くことにしました。
村はブルーシートで覆われています。仮設住宅のまま、崩れた家もそのままです。 |
子供たちの多くは、地震があった日土曜日で昼間だったことから、山に草を刈りに行ったり薪を切りに行ったりしていたそうです。ここは山に地すべりが起きて、多くの人が亡くなった場所でもあります。
子供たちの心の傷は大きいだろうなと地震の話しを聞くとそのときの表情で伝わってきます。
「地震があったとき、みんなはどこにいたの?」というお話をしているとき、「お姉ちゃんはどこにいたの?」と聞いてくれた子達。(涙)「お姉ちゃんは日本っていう国にいて、そこはゆれなかったんだよ」というと、「え~そうなの?」と驚いていた。子供たちにも地震の恐ろしさはよーくわかっていて、最近では小さなゆれでも外に避難するそうです。 |
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